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2015年5月

2015年5月25日 (月)

『国士 内田良平』 監修者代表・中村武彦

 

 大正十三(1924)年、排日条項を含む新移民法案が米国議会(下院)で
可決された。~中略~そしてこの時点でアメリカに居住する東洋諸民族
(支那を含む)の移民は全て法的に規制された。
 当然、日本国内は憤激する。5月31日には「亜米利加合衆国国民ニ訴フ」
との一書を認めた烈士が、赤坂米国大使館脇の邸内にて抗議の自決を
行うという事件が起こる。この無名烈士の遺骸は黒龍会が申し受けて通夜
を行い、さらには良平が弔祭委員長となり葬儀を執行したが、参列者は三
万人にも及んだという。

                   ― 『国士 内田良平』 第五章より ―”

 

黒龍会(Black Dragon Society)

 

 黒龍会は内田良平により1901年に結成され、当初はロシアの南下政策
に対する国内外での多様な活動を行っていたという。
P5250200_2

 

 内田良平も頭山満と同様に「右翼」の形容が付きまとう人物で、実際その
定義に当てはまるところも多々あるがやはりその形容に収まらない幅広い
活動を行っていたのがこの本を読めばよく分かる。

 

 天佑侠での朝鮮半島での活動やその後の朝鮮と日本との対等な合邦へ
向けての活動、孫文、その他アジアの独立運動家への支援活動、国内での
純正普選運動等々、教科書では教わらなかったことが分かり、これを読めば
歴史の見方が大きく変わる人も多いかもしれない。

 

 個人的には皇室あっての日本という考え方、宗教団体との関わりといった
部分は受け付けられないが、やはり教科書に載せるべき人物の一人である
ことに変わりはない。

 

 情報の出所の記載はないが、太平洋戦争終戦時、すでに亡くなっていた
内田良平がGHQによる民間人の戦犯指定の最初の人物だったという。
それだけ恐れられる、憎まれるというのもやはりこの本を読めばよく分かる。

 

 余談だが、僕の母方の祖父母の名前の最初の漢字は二人とも「良」、そして
その子供、長女(叔母)の名前は「良」の読み方を別の漢字にあてた名前、
次女(僕の母)の名前の最初の漢字は「祐」、天佑侠は当初「天侠」と新聞等
で表記されていたという。
そういったことからやはり玄洋社と同じでもっと早く知っていたらとの思いが
強い。

 

 祖父母は僕が中学に入る前に二人とも亡くなっていて二人の記憶も殆ど
無いけれど、母が時々祖父のことを話してくれて、東京に住んでいたころは、
コロムビアのレコードプレス工場で働いていて、ナット・キング・コールと野球が
好きなとても優しい人であったという。
もっと長生きしてくれていたら、名前のことは偶然なのか関係があるのか聞けた
と思うととても残念だ。

 

 内田良平や頭山満、あるいは玄洋社、黒龍会が主役、テーマのドラマや映画
はいつ製作されるのかと思うと、これは当分無理だろうなという人は多いだろう
けど本当は彼らを主題にした映像作品を作りたいと思っている人は多いはず。
早く彼らの願いが叶うような日本になって欲しいが、やはり当分は無理だろう。
今作られてもあちこちの国々に要らない配慮をした酷い作品にしかならないから
急げとは言わないけれど、なんだか色々ともったいない。

 冒頭の引用に関する件ですが、黒龍会は1919年のパリ講和会議での日本代
表の人種差別撤廃法案の提出に関わっている記述もある。
忘れただけかもしれないが、これは学校では習った記憶がない
もしもこれが歴史の教科書に載ってないとしたら、戦後、国民に隠して行われて
いる残酷非道極まりない活動が影響しているのかもしれない。
「人種差別反対と言ってるがお前の国には部落差別というものがあるじゃないか」、
というあてつけのようなものが「何か」の原因の一つのようにも思える。

 制度としては明治時代で無くなっているが、差別自体は今なお残っている国で
人種差別撤廃より先に解決しなければいけない事ではあるが、政府がああだか
らもうこれは仕方がないのか。
根本的な解決のためには制度の改正より人々の認識を変えることが重要だが
国として問題に真正面から向き合ってるように見えないし、やる気もないのだろう。

 なお、この法案は賛成多数にも関わらず、議長である当時のアメリカ大統領
ウィルソンにより否決されてしまう。

 ジョン・ケールの1973年発表のアルバムタイトル曲「Paris 1919」はこの件に関
する歌。歌詞にあるWilsonは勿論、ウィルソン大統領のこと。

 

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2015年5月20日 (水)

『玄洋社 封印された実像』 石瀧豊美

 玄洋社は頭山を司令塔として、アジアへと活動の場を広げていった。
韓国の親日派政治家金玉均との交際、アギナルドのフィリピン独立運動
への支援、孫文、黄興ら中国革命の志士の支援と革命への参加、インド
の独立運動家ラス・ビハリ・ボースをかくまったことなどはよく知られている。
これらは政府の意に反してなされた行動であった。
 隣の町へ行くような気安さで彼らは国境を越えていった。アジアをヨーロ
ッパと対立するものとして想定し、アジアの諸民族が一丸となってヨーロッ
パの侵略に対抗するという考え方、いわゆる“アジア主義”の立場からで
あった。
                 ―『玄洋社 封印された実像』 Ⅲより―

 玄洋社(英語表記:Dark Ocean Society)は19世紀後半に九州で設立され
日本の近代史において大きな足跡を残し、本来であれば歴史の教科書に
多く記述を割かれるべき政治団体ではあるけれども、第二次大戦直後に
GHQによる解散命令を受けた影響もあってか教科書ばかりかメディアでも
余り大きくとりあげらず、不当な評価を現在まで受け続けている、そんな
団体でもあります。
玄洋社の活動が活発であった植民地時代だからこそ生まれた思想、
“アジア主義”という言葉も今では印象の悪い、侵略主義と結び付けられる
事の多いものになっていますが、この本や他の玄洋社関連書物を読めば、
それも偏見、誤解のある見方であるということもよく分かります。

 僕も長らく玄洋社へよくつけられる形容、「右翼」、「国粋主義者の団体」と
いった言葉を鵜呑みにしたまま過ごしてきましたが、ここ数年のあいだに起
きた近代史への興味をきっかけに玄洋社について調べてみたところ、「右翼
、国粋主義者の団体」という言葉が全く的外れではないもののそういった枠
に収まらない多彩な活動をした団体であることを知り、もっと早く調べるべき
だったと後悔しているところです。

 この本のタイトルは今なお「右翼」、「国粋主義」あるいは侵略主義者といっ
た偏見、無理解な評価を受け続ける状況をなんとかしたいという思いからつ
けられたものだというのが読後によく分かります。
勿論彼らの活動全てが肯定できるかというと、そうではない部分も人により
少なからずあるのも事実かと思いますが、日本、アジアの近代史において
非常に重要な役割を担っていた団体であることは認めざるを得ないのでは
ないでしょうか。

 現在最も知られている彼らの活動は、主に19世紀半ばから20世紀初頭に
欧米諸国により植民地化が進められていたアジア各国の独立運動家、革命
運動家への支援活動がありますが、本書では玄洋社設立以前の九州の
状況、自由民権運動に深く関わる団体から国権重視の団体へと変貌する過程、
また国権という言葉に対する様々な解釈とその言葉が形容詞となって玄洋社
が語られることの問題点、疑問点などが語られています。
さらに所々で社員個人へ焦点をあてその活動、人物像が語られています。

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内容は大きく三つに分けられています。
Ⅰでは先ず城山三郎の小説『落日燃ゆ』の主人公、東京裁判で文官として
ただ一人死刑判決を受けた広田弘毅が玄洋社の社員ではないとかたられる
部分に対して、裁判時の証言記録、その他のソースを用いて反論しています。
その後も玄洋社に対する偏見、誤解からくる文献に対して反論をおこなって
います。
この部分を読むだけでも玄洋社に今なおまとわりつく「右翼」というイメージが
間違っていることがよく分かります。

Ⅱでは玄洋社の設立前夜から当時の(特に九州における)自由民権運動、
そして国権重視の団体としての活動、そしてGHQによる解散命令までが
基本的に時系列に沿いながら描かれています。
ただ時々挟まれる個人を焦点とした部分になると時代が遡ったりすること
も多々あります。日本の歴史に関する書物は元号と西暦の記述に統一が
見られないものが多いので数字が苦手な自分には若干読みづらいという
か時系列の把握が面倒な時がありますし、この本も若干そういった部分が
あります。
そういった部分はあるものの、本書内で一番長く充実した章になっています。
特に後半の中国の革命運動との関わりや、朝鮮の自主独立のための支援
活動は非常に興味深いものがあります。
戦前の日本人の大陸進出は侵略目的という見方が一般的ではあるけれ
ども、実際はもっと多様な要因が絡み合い始まったものであるということが
分かります。

Ⅲは前二章の総括的な内容の他、改めて数人の社員にスポットがあてられ
ています。

巻末には資料、玄洋社と関係の深い孫文が大正2年に来日時したときの
新聞記事や玄洋社関係の史跡一覧、社員名簿などが収められています。
 現在の玄洋社に対する世間の関心の低さの理由がどこにあるのか分かり
ませんが、このような状況が続いてるということは日本という国が戦後70年
経った今もアメリカ、GHQの強い影響下におかれた属国状態であるという
事実を示しているような気がしてなりません。
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動画の時間(長さ)と実際の時間の差について

 暖かくなってきて色んな匂いが強まり、バナナの皮の消臭効果
(ネット上では触れてる記事を見ないので気のせいかもしれませんが)
が気になるこの頃ですが、この話は置いといて、動画の時間が
実際の時間より1、2秒短い理由を説明します。

 ビデオカメラをよく使う方はご存知かと思いますが、大抵の家庭用
ビデオカメラは4ギガバイト、あるいは一定の時間がたつとファイルが
作られ、次のファイルへとうつります。

 次のファイルが生成されるときに機種によると思いますが約1秒の
ブランクが出来てしまいます。そのためファイルを繋いで一つのファイル
を作った場合つなぎ目分だけ実際の時間より短くなってしまいます。

 僕が現在、居間からの撮影に使用しているカメラは約2時間ほどで
次のファイルにうつるので、必然的に2時間以上のファイルは最低でも
1秒は実際の時間より短くなります。

 場合によっては2時間より短くても実際の時間より短くなることがあ
ります。例えば5分だけ編集したい場所がファイルのつなぎ目にあた
っている場合などです。
全ての動画があてはまる訳ではありませんが、居間から撮影してる
ものはほとんど1、2秒短くなってます。

 そういう訳で、動画を検証する際にはそういった部分にも注意して
ください。

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昨日の外出時の動画

出入時
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2015年5月17日 (日)

郵便配達がストーカーをしている証拠

 以下の動画や他の食事時の動画を見れば、郵便配達が僕の食事の仕度に
あわせて配達をしていることが分かります。

 このころはいつも10時30分頃から食事の仕度を始めていました。
そういったことから10時台や12時より前の時間、あるいは12時以降
の僕が外出しそうな時間帯に付近を回っていました。
勿論、ストーカー行為の隠ぺいの為に12時台も時々回っていました。

 次の動画は今年の同時期(5月7日~11日)の動画です。
9日がやけに早いのは、僕が最近上の動画が入ってるハードディスクを居間に
持ち出したのを知った加害者が先読み、つまり僕が上のような比較動画を作る
事を予想して9時台の配達になったような気がしますが、結局週明けの11日は
12時15分から配達が始まっています。
そして現在は10時台の配達はまれです。

 チャンネルの説明欄にも書きましたが、通常、一般企業は12時から昼休みです。
通常の配達員は12時に配達をしなければならないほど忙しいのでしょうか?
 インターネットでのEメールの普及で紙の郵便物は減る一方だというのは誰でも
分かる事です。忙しいわけがないと思うのがごく普通の感覚じゃないでしょうか。

 人員を減らしすぎて忙しいかもと思う人もいるでしょうが、付近の配達は大抵決
まって10分ほどで終わります。或いは5分、15分前後で終わります。
忙しいのならば毎回同じくらいの時間で配達を終えるはずがありません。
そういう訳で、忙しいという理由はありえません。

 なぜそんなことをするのかということについては他の嫌がらせ、ストーカー行為の
理由と同じで分かりません。

 面識のない人物から嫌がらせ、ストーカー行為をされる理由を知るというのは、
通り魔の被害者が通り魔が自分をなぜ狙ったのか知るのと同じくらい不可能な
ことであるのは、まともな方であれば誰でも理解できます。
なので、理由が分からないから、証明ができないからそれは気のせいだとか被
害妄想だと決めつけるのは大きな間違いでしかありません。

 そういった事を踏まえつつ僕の言っていることが事実かどうかを判断するよう
お願いします。

 

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2015年5月15日 (金)

辞書の折り目がどうなったか

http://qdbp.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-a6de.html

3月28日のブログに載せた辞書の画像
P32802002か月近くなってどうなったかというと、上部は写真を載せたためかほとんど変化は
ありませんが、下部に折り目が幾つかつけられました。
今回は折り目のつけられたページは開いてません。
P5150198.
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